senseinomirai日記

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グループセッション課題 『縄文時代の人口推移について考える』6年生

縄文時代の人口推移について考える』6年生

 

<意見>
 約6000年前の東日本では、(冷温帯落葉樹は後退して、)コナラやクリなどの暖温帯落葉樹林が広がっていたので、木の実の生産性が高いことがわかる。『ジュニア歴史資料』によると、縄文人の食物の50.8%が木の実、15.7%が根や芋などの植物である。こうした温暖化となった地域では食料が豊富であることから、東日本を中心に日本の人口は急増したと思われる。特に、青森県三内丸山遺跡には、縄文人が多く生活していた跡が見つかっている。一方西日本では、カシやシイの常緑照葉樹林が広く見られていた。
 約2500年前の縄文時代晩期から弥生時代初期にかけて、世界的に気候が寒冷化し始めた。東日本でも気温の低下を受け、暖温帯落葉樹林が後退してしまう原因となった。食料供給が減少したことに伴い、人々の栄養状態が悪化し人口も減少したと考えられる。また、大陸からの人口流入に伴う疫病が蔓延したことで、日本の人口が大きく減少したと考えられる。
 その後、再び温暖化したのは渡来系弥生人水田稲作技術をもたらした頃で、食糧供給が安定してきた。西日本各地にも大型の集落が見られるようになり、人口が増加していたことがわかる。鹿児島県の上野原遺跡は縄文時代草創期から存在したが、鬼界カルデラと言われる薩摩半島沖合50キロに位置する火山の噴火により、繁栄させることができなかったと推測される。