senseinomirai日記

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読書感想文『おじいちゃんが孫に語る戦争』 4年生 ☆受賞☆

読書感想文

著書『おじいちゃんが孫に語る戦争』

 

題名『おじいちゃんが孫に語る戦争』 4年

 

 ぼくは歴史にとても興味があり、これまで沢山の本を読んできた。その中でも今回この本について文章を書いてみようと思った理由がある。ぼくが幼稚園の時に曽祖父が死んで、小学二年生の時に祖父が死んでしまった。今なら戦争のことも理解できるので、この本から教わることや、これからぼくにもできることがあると思ったからだ。
 日本があの場でとどまっていれば、と思った出来事がある。それは、満州事変だ。関東軍満州に自分たちをつくろうと、わざと鉄道をこわして中国軍に戦いを仕かけた。日本のしたことは、他人の土地に勝手に自分の家を住み始めたようなことだ。日本人は自分たちのしていることを少しも悪いと思っていなかった。この時代は日本と同じように、力の強い国が力のない国に軍隊を送り込んで植民地(自分たちの国の一部)にしていき、現地の人たちを働かせたり、石油や石炭などの資源を安く手に入れたりするのが当たり前に行われていた。「帝国主義」というやり方だ。日本は帝国主義国家の仲間入りをして喜んだようだが、とても平和なやり方とは思えない。しかも関東軍は、日本国民に「爆破したのは中国軍の兵隊で、これにおこって関東軍が中国軍に攻撃した」とウソをついていたのだ。自分の国に裏切られていることを知らずに国のために働いたり戦ったり命をかけている人たちがいたことは、とても悲しくて残酷だと思う。その後も、日清戦争、二・二・六事件、盧溝橋事件など、中国軍と日本軍が戦いを続けていたころ、ヨーロッパでヒトラーが率いるドイツ軍が、ポーランドに侵入して、第二次世界大戦が始まってしまった。
 おじいちゃんの小学生の時の夢は、「戦死すること」だった。戦争はどのくらい身近なことだったのだろうか。学校で「修身」という科目があり「日本を愛しなさい、天皇を敬いなさい」と教えられて、いさぎよく死ぬことが日本男児だった。そしておじいちゃんにとって忘れられない思い出は、戦争に負けた日のこと。忘れられない思い出というのは、友達や家族と過ごした日のことしかぼくにはわからないし、自分の夢もまだはっきりしていないが、「戦死」でないことは間違いない。
 第二次世界大戦で、日本はアメリカと戦う道を選んだが、負けてしまう。戦争反対派の昭和天皇は、自分が「戦争反対」と言ったら賛成派と反対派で内乱が起きて、自分や仲間たちが殺されてしまうと考えた。「四方の海みな同胞と 思ふ世に など波風の 立ち騒ぐらむ」これは昭和天皇の祖父の明治天皇が、日露戦争が始まる直前によんだ和歌だ。昭和天皇はこの思いを引き継ぎ、戦前に読み上げた。「世界の人々が皆兄弟のように思い合えば、戦争は起きないのに」という意味だ。
 ぼくは今、勉強や運動で競争することが多いが、友達と競争しながら仲良くしていける方法を考えている。また、ウソではない真実を見つけることが大事だと思った。

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